先日、リビングで子どもと一緒にテレビを見ていたときのことです。昔の家族ドラマが流れていて、主人公の女性が壁に取り付けられた電話の受話器を持ち、くるくるとコードを指に巻きつけながら話していました。
それを見た子どもが、不思議そうな顔で私に聞いてきました。
「ねえ、なんで電話にコードがあったの?」
一瞬、言葉に詰まりました。
私にとっては、あまりにも当たり前の光景だったからです。電話といえば、家の廊下や居間に置いてあるもの。コードの長さが行動範囲のすべて。そんな時代を、私は確かに過ごしてきました。
「あのね、昔の電話は、コードで壁とつながってないと使えなかったんだよ」
そう答えると、子どもはさらに首をかしげます。
「じゃあ、お散歩しながら電話できなかったの?」
「できなかったね」
「トイレでも?」
「トイレでもできなかったよ」
「えー、不便じゃん!」
その素直な一言に、思わず笑ってしまいました。確かに、今の子どもたちから見れば不便そのものです。でも同時に、私の中にいろいろな記憶がよみがえってきました。
電話は「家族みんなの共用物」だった
昔の電話は、家に一台、というのが普通でした。
誰かにかかってきた電話は、まず家族の誰かが出ます。「もしもし、〇〇です」と名乗って、「少々お待ちください」と言ってから、家の中に向かって呼ぶ。友達からの電話なら、受話器を渡すときに「〇〇ちゃんから」と言われて、ちょっと照れくさかったものです。
つまり、誰からどんな電話がかかってきたのか、家族には全部わかる。今では考えられないくらい、電話は家族みんなの目と耳の届く場所にありました。
好きな人に電話をかけるとなったら大変です。番号を押す前に、深呼吸。相手の家の人が出たらどうしよう、と何度もシミュレーション。「夜分遅くにすみません、〇〇と申しますが……」と、子どもなりに丁寧な言葉を準備していました。
コードを伸ばして、廊下の端っこへ
それでも、どうしても人に聞かれたくない話をしたいときがあります。
そんなときは、コードをぐーっと伸ばして、廊下の端っこまで電話を引っ張っていく。階段の下や、ドアの隙間までコードを通して、ひそひそ声で話す。
コードがピンと張ってしまって、それ以上は行けない。そのギリギリの場所が、当時の私にとっての「秘密基地」でした。
しかも長電話をしているうちに、コードはくるくるとねじれて、ぐちゃぐちゃに絡まっていきます。通話が終わったあと、受話器をぶら下げてコードをくるくる回してほどくのが、なんだか儀式のようでした。
「待ち合わせ」には覚悟が必要だった
電話に限らず、あの頃は「連絡がつかない」ことが前提でした。
待ち合わせの時間と場所を決めたら、あとは当日にその場所へ行くしかありません。遅れそうになっても連絡手段はなく、相手はただ待つ。待たされる側も、「もう少し待ってみよう」と時計を見ながら立ち尽くす。
だからこそ、会えたときの安心感は格別でした。「ごめん、待った?」「ううん、今来たところ」というやりとりの裏に、ちゃんとお互いを信じて待つ時間があったように思います。
今はスマホがあれば、「あと5分で着く」「ちょっと遅れる」「今どこ?」と、すぐに連絡がとれます。本当に便利になりました。すれ違いも、待ちぼうけも、ほとんどなくなりました。
便利になったことで、ちゃんと助かっている
ここで誤解してほしくないのですが、私は昔を懐かしんで「昔のほうがよかった」と言いたいわけではありません。
むしろ、今の便利さには毎日助けられています。
外出先から家族にすぐ連絡できる。子どもの帰りが遅いときも、居場所を確認できる。災害のときにも、離れた家族の無事をすぐに知ることができる。ビデオ通話を使えば、遠くに住む祖父母に孫の顔を見せることもできる。
コードがあった時代には、想像もできなかったことばかりです。
あの頃の私が今のスマホを見たら、きっと腰を抜かすでしょう。「電話なのに、持ち歩けて、写真も撮れて、地図まで見られるの?」と。
それでも、あのコードの長さが好きだった
ただ、ふと思うのです。
あのコードの長さには、不思議な役割があったな、と。
電話をする場所が限られていたから、話す内容もちゃんと選んでいた。長電話をすれば家族に「そろそろ切りなさい」と言われるから、話したいことを頭の中で整理してからかけていた。
連絡のとり方が不自由だったぶん、ひとつひとつの電話に、ちょっとした「気合い」があったように思います。
もちろん、これは今の便利さを否定する話ではありません。ただ、便利になったからこそ、あの頃の不便さの中にあった小さな楽しみを、ときどき思い出したくなるのです。
子どもに伝えたこと
テレビを見終わったあと、子どもにもう一度話しかけました。
「昔はね、電話ってコードの長さの分しか動けなかったんだよ。でもね、そのコードを持って、廊下の端っこでこっそり話すのが、ちょっと楽しかったんだ」
すると子どもは、こう言いました。
「ふーん。でも、わたしはスマホのほうがいいな」
「うん、それが正解だよ」
私は笑って答えました。
きっと、この子が大人になったとき、また同じように自分の子どもから聞かれる日が来るのでしょう。
「なんで昔のスマホって、持って歩くだけだったの?」
「なんで画面をさわって操作してたの?」
そのとき、この子はどんなふうに答えるのかな。そんなことを想像すると、ちょっと楽しい気持ちになりました。
まとめ
「なんで電話にコードがあったの?」
たった一言の質問から、自分の子どもの頃の記憶が、次々とよみがえってきました。
便利になったことで、私たちはたくさんの時間と安心を手に入れました。一方で、不便だった時代にしかなかった小さな工夫やドキドキも、確かにありました。
どちらがよい、悪いではなく、その両方を知っていることが、今の私にとっての小さな財産なのかもしれません。
もし身近に小さな子どもがいたら、ぜひ昔の電話の話をしてみてください。
きっと「えー、うそでしょ!」と、目をまんまるにして聞いてくれるはずです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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