先日、祖母の家に遊びに行ったときのことです。
お茶を飲んでいたら、祖母が少し得意そうな顔でスマホを取り出して、こう言いました。
「これで写真が撮れるのよ」
しかも、ちょっと声をひそめて、秘密を打ち明けるみたいな言い方でした。
思わず笑ってしまったのですが、同時に、胸の奥がじんわりしました。祖母にとっては、電話の機能もついた小さな板で写真が撮れること自体が、まだ「すごい発見」なんですよね。
祖母が見せてくれた一枚
祖母が撮ったのは、庭に咲いた花の写真でした。ちょっとピントが甘くて、指も少し写り込んでいます。
でも、本人は大満足。「ほら、きれいに撮れたでしょう」と何度も見せてくれました。
その姿を見ていたら、ふと昔の記憶がよみがえってきたんです。
「撮る」ことが特別だった時代
私が子どもの頃、写真を撮るというのは、ちょっとした「イベント」でした。
フィルムは一本に枚数が決まっていて、24枚撮りや36枚撮り。だから、シャッターを切る前には、みんな自然と構えていました。
「ちょっと待って、今のうちに髪直す」
「もう一枚いく? フィルムあと少ししかないよ」
「これは大事な場面やから、ええ角度で撮ろう」
そんなやりとりがあったのを覚えています。
撮り終わったら、フィルムを写真屋さんに持っていって、数日後に受け取る。袋を開けるまで、何が写っているかわからない。
目をつぶっている写真、指が写っている写真、どこを撮ったのかわからない写真。それも含めて、受け取る瞬間は毎回ワクワクしました。
今は、撮った瞬間に見られる
それが今では、撮った瞬間に画面で確認できます。失敗したら、その場で撮り直し。気に入らなければ消せばいいし、枚数も気にしなくていい。
しかも、ちょっと加工すれば、実物よりきれいに見せることだってできます。
本当に便利になったなあと思います。
旅行先で何百枚撮っても、フィルム代を心配しなくていい。食べ物も、猫も、空も、思いついたときに撮れる。これはやっぱり、ありがたい変化です。
便利になって、変わったこと
ただ、ふと思ったんです。
昔は、一枚一枚に「ちゃんと撮ろう」という気持ちがあったなと。
今は気軽に撮れるぶん、撮りっぱなしになっている写真も多いです。スマホの中には、何千枚という写真が眠っていて、見返すこともほとんどありません。
それに比べて、昔のアルバムは、数は少ないのに、一枚一枚をよく覚えています。
どんな日だったか、誰と一緒だったか、何を話していたか。あの頃の写真は、数が少なかったからこそ、思い出と一緒にしっかり残っていたのかもしれません。
祖母の「一枚」に学んだこと
祖母は今、あの頃の私たちと同じように、一枚の写真を大事にしています。
撮ったことがうれしくて、見せたくて、何度も眺める。
それを見ていたら、便利になったことと、大切にする気持ちは、両立できるのかもしれないと思いました。
たくさん撮れる時代だからこそ、「この一枚は残したい」と思う瞬間を、もう少し丁寧に選んでみる。撮ったあとに、ときどき見返してみる。それだけでも、写真との付き合い方は変わりそうです。
おわりに
帰り際、祖母が「また今度、あなたの写真も撮ってあげるわね」と言ってくれました。
あの得意そうな顔を思い出すたびに、便利になった世の中の、いちばん素敵な使い方を教えてもらった気がします。
スマホの写真フォルダを、久しぶりに開いてみようかな。そんな気持ちになった一日でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
PR
コータのAmazonページへ
コータのAIイラスト、Xページへ
コータのユーチューブページへ
よろしければ、
のぞいてみてください
0 件のコメント:
コメントを投稿