ボタンひとつでお湯が沸く。スマホひとつで買い物が終わる。地図アプリがあれば、知らない街でも迷わない。
ほんの数十年前には「夢」だったことが、いまはすっかり当たり前になりました。便利になったなあ、と思う場面は数え切れません。
ところが最近、その便利さの「先」に、ちょっと不思議な景色が見えてきた気がするんです。
わざわざ「不便」を選ぶ人たち
たとえば、キャンプ。家には快適なエアコンもベッドもあるのに、わざわざ寒い思いをして、火を起こして、湯を沸かす。
たとえば、ハンドドリップのコーヒー。ボタンを押せば一瞬で出てくるのに、豆を挽いて、お湯を細く注いで、ぽたぽた落ちるのをじっと待つ。
たとえば、フィルムカメラや手書きの手帳、紙の本。
どれも、効率だけで考えれば「やらなくていいこと」ばかりです。それでも、やりたくなる。むしろ、そこにお金や時間を使いたくなる。
不便の中に残っていたもの
不便なことって、手間がかかる代わりに、「自分でやった」という手ざわりが残るんですよね。
ドリップコーヒーなら、湯気の香りや、注ぐときの手の感覚。フィルムカメラなら、撮ってから現像するまでの、ちょっとしたドキドキ。手書きの文字には、その日の気分まで滲みます。
便利は、「結果」を最短で届けてくれます。でも、その途中にあった時間や感覚は、一緒に省略されてしまう。気づかないうちに、「途中」まるごと手放していたのかもしれません。
選べるから、贅沢になる
ここで大事なのは、「不便だったころに戻りたい」という話ではないところです。
昔の不便は、選べない不便でした。やるしかないから、やっていた。でもいまは違います。便利という選択肢が手元にあって、そのうえで、あえて不便を選べる。
つまり、不便が「我慢」から「楽しみ」に変わったんです。
これって、すごく贅沢なことだと思いませんか。時間に余裕がなければできないし、気持ちに余白がなければ楽しめない。便利さが時間と余白をつくってくれたからこそ、不便を味わえるようになった。
全部やらなくていい
とはいえ、毎日すべてを不便にしたら、さすがに疲れてしまいます。朝の忙しい時間にドリップコーヒーをやったら、遅刻しそうですし。
だから、ちょっとだけでいいんだと思います。
- 休日の朝だけ、豆を挽いてコーヒーを淹れる
- 月に一度、スマホをしまって紙の地図で歩いてみる
- 気になった言葉は、アプリではなく手帳に書いてみる
普段は便利をしっかり使って、ここぞというときだけ、ほんの少し手間をかける。そのくらいの距離感が、ちょうどいい気がします。
おわりに
便利さは、私たちから時間を奪うものではなく、時間をつくってくれるもの。そのつくってもらった時間で、何をするか。
その答えのひとつが、「不便をあえて選ぶ」ことなのかもしれません。
あなたなら、どんな不便を、ひとつだけ選んでみたいですか?
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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