調べものをするには本を開いたり、人に聞いたり、図書館へ行ったりする必要がありました。
誰かと連絡を取るにも、家の電話を使ったり、手紙を書いたり、待ち合わせ場所と時間を前もって決めたりしていました。
今のように、すぐ検索できて、すぐ連絡できて、すぐ買い物ができる時代ではありません。
そう考えると、今の便利さは本当にすごいものだと思います。
スマホひとつあれば、地図も見られます。
天気もわかります。
ニュースも読めます。
動画も見られます。
買い物もできます。
昔ならいくつもの道具や時間が必要だったことが、今では手のひらの中で終わってしまいます。
便利になったこと自体は、もちろん悪いことではありません。
むしろ助かることのほうが多いです。
道に迷っても地図アプリがあります。
知らない言葉が出てきても、すぐに調べられます。
遠くにいる人とも、簡単に連絡が取れます。
時間や体力を節約できるという意味では、今の時代はとても恵まれているのだと思います。
ただ、便利さに慣れすぎると、少し怖いなと思うこともあります。
たとえば、検索すればすぐ答えが出るせいで、自分で考える時間が短くなっている気がします。
道を覚えなくても目的地に着けるので、土地勘が弱くなっている気もします。
連絡がすぐ取れることが当たり前になったせいで、返事が遅いだけで不安になったり、少し疲れたりすることもあります。
昔の不便さには、不便だからこその余白がありました。
待つ時間がありました。
考える時間がありました。
失敗しながら覚える時間がありました。
今はその余白が、どんどん短くなっているのかもしれません。
便利な道具は、使い方を間違えなければ心強い味方です。
でも、便利なものに全部を任せすぎると、自分の感覚や判断力まで少しずつ預けてしまうような気がします。
何でも自動で決めてくれる。
何でもおすすめしてくれる。
何でも先回りして教えてくれる。
それは楽でありがたい反面、自分で選んでいるようで、実は選ばされているだけなのではないかと思う瞬間もあります。
昔に戻りたいわけではありません。
不便だった時代が、すべてよかったとも思いません。
ただ、不便だったころを知ると、今の便利さがどれだけ大きなものかがわかります。
そして同時に、その便利さに飲み込まれないようにしたいとも思います。
便利なものは使えばいい。
でも、ときどき立ち止まって、自分で考える時間も残しておきたい。
スマホを閉じて、何も調べずに考える。
すぐ答えを出さずに、少し悩んでみる。
遠回りでも、自分の足で確かめてみる。
そんな小さな不便さを、あえて残しておくことも大事なのかもしれません。
便利になった今だからこそ、不便だったころの感覚を忘れない。
それが、便利さと上手につき合うための、ひとつの方法なのだと思います。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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