今の生活は、ずいぶん便利になったと思います。
わからないことがあれば、すぐに調べられる。
遠くの人にも、すぐに連絡できる。
買い物も、予約も、支払いも、スマホひとつで済んでしまう。
昔なら、少し時間がかかっていたことが、
今では当たり前のように一瞬で終わります。
それは本当にありがたいことです。
でも、便利さに慣れてしまうと、
昔の不便さを、少しずつ忘れてしまう気もします。
待ち合わせをするだけでも、昔は大変でした。
相手が来なければ、ただ待つしかない。
遅れているのか、来られなくなったのか、
今どこにいるのかもわからない。
それでも人は、信じて待っていました。
道に迷ったときも、今のように地図アプリはありません。
人に聞いたり、看板を見たり、
なんとなくの勘で歩いたりしていました。
時間もかかるし、間違えることもある。
でも、その途中で知らない道を見つけたり、
思いがけない店に出会ったりすることもありました。
不便だったからこそ、
記憶に残る景色もあったのかもしれません。
便利になることは、悪いことではありません。
むしろ、生活を助けてくれる大切なものです。
けれど、便利さが当たり前になりすぎると、
少し待つことにも、
少し手間がかかることにも、
すぐに不満を感じてしまうことがあります。
昔なら普通だったことが、
今では面倒に感じてしまう。
それだけ私たちは、
便利な世界に慣れてしまったのだと思います。
昔の不便を美化する必要はありません。
戻りたいわけでもありません。
ただ、不便だった時代には、
今よりもゆっくり考える時間や、
人に頼る場面や、
待つことを受け入れる余白があったようにも感じます。
便利さは、時間を短くしてくれます。
でも、その短くなった時間の中で、
私たちは本当に余裕を持てているのか。
そこは、少し考えてしまいます。
便利になった今だからこそ、
昔の不便を思い出すことにも意味があるのかもしれません。
不便だったから見えていたもの。
手間がかかったから大切にしていたもの。
待たされたからこそ、感じられたもの。
そういうものを全部忘れてしまうと、
便利さの中にいるはずなのに、
心だけが忙しくなってしまう気がします。
便利な時代を生きながら、
少しだけ不便だった頃の感覚も覚えておく。
それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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